多重階層の論理判断:
 最近の事件報道には短絡的な動機による犯罪を伝えるものが多いように感じる。人間社会が複雑化したのに、個人の判断能力、情緒・感情の兼ね合いが崩れてきているのだろうか?わたしは専門家ではないから犯罪心理のはなしはできませんが、経験上のはなしをしてみたい。(箇条書きにします)
○相手のある交渉事で一方的な優位を得てはならない。交渉事の広い範囲で相互に均衡・帳消しがとれる妥協・判断をすること。(通常、一方的な悪や善を決めつけるだけでは解決しない)
○つまり、電子式重量計で重さを計るのになれすぎはいけない。天秤の原理で相手と自分を広い角度から比較計量すること。(基準の分銅と比較するとか、自分も相手も同じ尺度で比較するとか)
○逆説的に言えば、交渉を解決するには「相手に義務・損失を与え、同時に相手に権利・利益を与える」をお互いが感得しあうこと。これが成立しない交渉事・人間関係はどこかで論理判断がまちがっている。
○短絡的な動機には論理判断のまちがいが引き金になっているのだろう。

 論理判断の仕組みを実感したのは、デジタル論理回路を勉強したころですね。リレー論理回路よりも、IC論理回路で実感した初期の世代かもしれない。
○デジタル論理は0か1かのどちらかで表現・判断する。多数の信号線が0か1かの状態をもち、その2値の組み合わせで論理を現わす。
○論理状態を判断し、0か1かの結果を出す。その結果と別の状態判断の結果とで新たな論理判断を下し、次の結果を出す。
○多重の階層での論理判断を組み上げて複雑な条件判断を産み出す。どこか1か所でも判断を違えればたどり着く先が変わってくる。アミダくじでは追加した1本の横線で結果が大違いになるのとおなじ。
○デジタル論理では信号線の0か1かの値が瞬間的に変化していく。アミダくじの横線が瞬間的に止めどなく変化して結果も瞬間的に変わっていくのと似たようなものと想像してみるとよい。
○コンピュータ・プログラマは多重階層の論理判断を日頃から実行している。(人間関係の論理判断ではないが)
○マイクロエレクトロニクスのことばが喧伝された時代には、小さなIC回路に超多重論理回路を組み込めば何でもできると夢が語られた。
○当然ながら、その夢が実現している時代です。

 本題にもどると、いろいろな観点から判断を重ねる「多重階層の論理判断」をしないと到達できない最終判断があるのだということを体得しているのだろうか?判断の途中段階で思考が止まっている?それに気づいていない?
○わたしは多重階層の論理判断を訓練する意味で、超漢字版や自己流マンダラートによる思考実験を時々しています。
○論理判断の協同作業などグループ訓練は?昔のKJ法トレーニングくらいの経験ですね。
○マンダラートの3×3コマに関連視点での判断を書き込み、その判断コマを別の3×3コマに託して関連視点を広げて判断していく。(一人でグループ思考の訓練ができる?)
○視点の広がり、均等性、公平性などを考慮する。ある視点に対する判断の深まりや逆に思考停止しているかどうかの評価もする。ひとりで多重階層の論理判断を重ねていくのは苦しいものです。
○しかし、課題に対して多角的に論理判断を重ねる技法を身につけるのは時が移っても必要だろう。