存在
2007/05/11(金)
 このテーマも 重たすぎて 持て余す ところだ。存在哲学の 方法論にも なじみがない。ともかく 練習。
○「われ おもう ゆえに われ あり」、「人間は かんがえる 葦である」など の 存在論は 人間の都合主義 に 偏りすぎる。

 以前、電車に 乗り合せた 若者が 手書していた メモの ことから、検討してみる。
○座席にこしかけた 青年、中国語で しきりに メモしている。ふと、気づいたのは 日付の 書き方が 数字で 年月日順だった。そう おもって、ページを ざっと のぞきみる と、2、3項目が 西暦の 年月日数字だ。
○それだけ しか 理解 できなかったが、なんだか この青年に 共感が わいてきた。
○日本語での 年月日の 数字表記は、この文章の 頭部に 日付した 方式が おおい。配列や 検索に 適した 方法だ。
○日本人は 姓名表記を 外国向けには 名・姓表記に してしまった。国内向けでも、ローマ字表記では 名・姓表記 に されてしまう。姓・名表記の ほうが、検索・収納に 便利な 方法だ。
○ローマ字表記も ヘボン式が まかりとおる。だが、50音図表を ローマ字表記したとき、ヘボン式では 無原則の 極み だと 一目瞭然の はず。
○Z/Dの 混乱(ず:zu/づ:du/じ:zi/ぢ:di)などは ヘボン式を やめて 訓令式等に 整理する しかない。
○住所の 表記方法も 日本語では 市区町・丁目・番地の 順に 並べる。英米では 逆順に 表記する。

 存在の哲学練習なので、存在の時間表記、空間表記の 一例として、年月日表記、姓名表記、住所表記を まず、表面的だが 考察した。
肝心の 存在者に ついても 西洋と 東洋では とらえ方が おおきく違う 側面が ある。と おもう。
○「有」、「無」、「空」などの 概念を 理解する 必要が ありそうだが、当方の 範囲を 越えている。
○政治、経済、外交、憲法などにも 「有」だけでなく、「無」、「空」の 概念、もしくは 「理想論」が 不可欠だろう。と おもう。