2006/04/05(水)
無所属を考える2
 「亀とムツゴロウ」梅原猛 :文藝春秋 の随筆のなかに「侍の崩壊」という小文がある。
この中に、1985、6年ころの霞ヶ関の役人の仕事ぶりに感じて次のように述べている。(相当な簡略をしました)
○「武士は食わねど高楊枝」の精神がまだ残っている。しかし、新渡戸稲造が「前代からの侍の道徳」によるものと解釈した明治の日本人の心の支えを、この先、いつまで伝えていけるのか?
○高学歴、難関の公務員試験を突破して役につくとき、もし侍の心がなければ権力の誘惑に打ち勝つことは難しい。
○しっかりした道徳的感性をもった人間を養成するには、20年の年月が必要だ。

2006/03/30(木)
 「人間を読む旅」城山三郎×佐高信 対談の書を読んで、会社や組織の経営者の生き方をどう考えているのか垣間見た。対談書なので、はなしの流れの個別事項を深く説明する形にはなっていないが、人物伝中の人物へ取材開始しようと思うか、思わないかの判断感性が語られている。実感できる部分もあるが、話に出てくる事柄、書籍の量は膨大だから理解の範囲を超えるところが多いです。

 「国家の品格」藤原正彦:新潮新書を読んだ。論点は明快。具体例を整理し、さらに今後の指針に練り上げるのは時間がかかる。国家という必要悪をどう組織するか、少子高齢化社会、地方分権・道州制など社会の枠組み改革が必要な時代の人間形成をどうしていくのか。

 組織をつくるなら強力で永続的な機関にしたい、組織のエゴが働く。組織のエゴを監督する組織をつくっても、その組織がエゴを持つ。だから組織でないもので有効に社会の規範としてはたらくものが必要なのだ。武士道が武士組織の規範であっては、社会の規範とはいえない。人間道・人間精神とはなにか。日本人道・日本人精神とはなにか。

 「生と死が創るもの」柳沢桂子:草思社 は生命の不思議をかたる随筆である。その中に「「源氏物語」の遺伝概念」という文章がある。要旨を記す:紫式部は血筋、血統などの遺伝現象を物語の随所で語っているが、「親子ともに蹴鞠を得意とするという種類の遺伝子情報は、代を重ねていけば特徴がうすれて平均化されてしまうもの」と認識しており、源氏の褒め言葉に対する柏木の応答として語らせている。
 メンデルの遺伝法則が19世紀の終わり、集団のなかの複合的な遺伝子の遺伝法則が証明されたのは20世紀になってからだと随筆は述べる。11世紀の紫式部は遺伝現象の特質を見抜くだけの見識をもっていたのだと。
直近に読んだ「国家の品格」藤原正彦:が包括的に表現した「日本の文学の始まり(5世紀から15世紀)は、質と量において他国を超えている」という傍証になるのかもしれないと思う。

 「日本語の将来」梅棹忠夫:NHKブックス を何年前か読んだ。日本語の表記をローマ字表記で国際化しようという構想で、日本ローマ字会の何代目かの会長を任じられている。わたし自身も共感するところがあるが、実践はできていない。(BlogのWebnoteのEsperanto作文実習で、日本語ローマ字表記を同時に練習中ですが)
日本人精神が国際化するには、「mottainai」のようにローマ字として広がるのは目に見えている。