2006/05/18(木)
 「私の体験的ノンフィクション術」:佐野眞一:集英社新書 を読みおわって、つぎの「忘れられた日本人」:宮本常一:岩波文庫 を読みはじめた。佐野眞一の本を読むのはこれがはじめてで、いきなり自著作をもとに執筆のノウハウを読まされたわけです。ノンフィクション技法をドキュメンタリータッチで解説するような印象です。
人物評伝に取り組むとっかかりは、書き手側の動機が一番重要だという。同感です。いままで佐野眞一著作を読んだことがないのは、私の読む動機がマッチしていなかったからでしょう。城山三郎の動機には共感するところがあった。(:「人間を読む旅」城山三郎×佐高信 対談の書)
 おそらく、佐野の動機に共感することは将来的にもなさそうに思う。それは私自身の感性が、文明には興味をもつが、文化に浸る習性がないからだろう。ゲーム、かけごと、芝居、映画、カルチャーセンターものなどにまったく興味がない。ほとんど無趣味で文化人の素質がないと思っている。

2006/05/15(月)
 読書をすこしづつ。
「日本文明77の鍵」:梅棹忠夫編著:文春新書 を図書館から借りて読んでいます。期限内に読み終わらずに、もう一度連続して借りました。あわせて「私の体験的ノンフィクション術」:佐野眞一:集英社新書も借りて来ました。後者を読み始めたところで、記述にまつわる原点の本・「忘れられた日本人」:宮本常一:岩波文庫 を読みたくなった。本日、散歩の途中で本屋にて見つけて立ち読みした。その岩波文庫のあとがき解説文を網野善彦が書いたのだと言うこともわかった。そこで「日本の歴史をよみなおす」:網野善彦:ちくま学芸文庫 を見つけだし、両方2冊を購入しました。
 網野善彦の惜別記事が出たときに何冊かの本を拾い読みしたのですが、じっくり読んだものはありませんでした。今回は梅棹忠夫・加藤秀俊(梅棹と同時代人で取材学、整理学を著作)・佐野眞一(加藤秀俊などの取材学・整理学に異論。宮本常一を私淑)というつながりで読書の方向がついた。
 加藤秀俊の取材学、整理学を読んだのは2年前になるが、ノウハウの印象が私もほとんど残らなかった。読むたびに新鮮な視点・論点を感じる梅棹本に比べると、インパクトがないと思っている。その意味で、佐野眞一の本を楽しみに読んでみたい。