2006/03/21(火)
無所属の時空間に生きる
 図書館で城山三郎の随筆、対談の2冊を借りてきた。「無所属の時間に生きる」とサブタイトルのついた「この日、この空、この私」という1冊を読み終わったところ。会社や組織の中に所属も帰属もしない個人として生きる、または退職したひとの生き方についての随筆。
 「毎日が日曜日」になったひとりとして、また無所属になったひとりとして考えるヒントかもしれない。組織の中では生きにくさを感じながらも、AB型の特徴である?精神二重構造でなんとか過ごしてきたが、いまは「無所属の時空間」を生きたいと思っている。

 随筆の内容とかけ離れてしまうが、気になることを整理しておきたい。前回のテーマで取り上げた「改行と改段落の使い分け」に照らして、城山三郎の文章構成をしらべてみると、改行のあとの行頭に一文字下げの原則がはっきりと見てとれる。また、文意上での段落のあとには1行分の空行がある。
段落内での改行で、行頭一文字下げが原則になっている。この原則は、文学、文芸での通例になっているのでしょうね。短い文章構造を好む場合には、改行が多くなり、行頭一文字下げがひんぱんに起きる。
 この原則に対して、梅棹忠夫、本多勝一の流儀は「文意の段落内での改行には、行頭一文字下げをしない」「行頭一文字下げは、段落の始まりだけ」ということだと、わたしは解釈している。この流儀を有意義なことだと共感する。

 標題のテーマから離れてしまった。もう1冊の対談を読んでから出直すことにします。大テーマですので手に負えなくなりそうですが、、、