3.3【受動態の深層意味はひとつ】
 受動態接辞:areruは、結果態:aruに可能態:eruが合成されたものです。
その結果態接辞:aruは、文語体での受動態ですから、基本的に両者共に受動態の意
味を表します。
つまり、「ある、あれる」接辞で受動態を表すわけです。
また、受動態の打消し表現:「あれない」は、「結果+可能」を否定する意味になります
から、「結果+不可能」を表現することになります。
★「動作の結果が出ているのに、それを否定するのかい?」と疑問に思われるのが道
 理ですね。
・通常、「予測動作の予測結果」が如何にしても不可能だと落胆する気持を表現する
 ときに、「行きたいけれど、行かれないんだ」と未来時点に対しても受動態(打消し
 )で言います。
(落胆の意味は潜在的ですから、これだけで顕在的表現となり得ないが、におわせる
程度の期待はしたい・・・)
「行けないんだ」では結果を予測しないで、意思の上で「行かない」と発話する軽い表
現です。
「行ける」「行かれる」は次節で詳細に説明しますので、本題に戻りましょう。
【受動態は「動作がある」、「動作結果がある」という事態の描写表現】
【段階1:受動態の形態を把握する】
 :「動詞(の動作結果が)ある」情景を想起する練習。
・書く(の動作結果が)ある、あれる→:受動態:書かる、書かれる:書k・are[r]u、
・来る(の動作結果が)ある、あれる→:受動態:来らる、来られる:ko[r]・are[r]u、
 (注意:不規則動詞だが、態考察では「ko」までを語幹扱いにした)
・食べる(の動作結果が)ある、あれる→:受動態:食べらる、
 食べられる:食べ[r]・are[r]u、
 (注意:食べがあるではなく、食べる結果があるです)
・来さす(の動作結果が)ある、あれる→:(強制)受動態:来ささる、来さされる:
 :ko[r→s]・a[s]・are[r]u、
 (注意:来[r]を強制態:ko[r→s]・a[s]uへ移行させてから、受動態接辞を付加する)
・立たす(の動作結果が)ある、あれる→:受動態:立たさる、立たされる:
 :立[t]・a[s]・are[r]u、

【段階2:受動態の意味を把握する】
 :「動詞+ある、あれる」を理解する練習。
★接辞:「ある、あれる」の単語としての意味を把握する。
〇ある、あれる:「在る・在れる、有る・有れる、ある・あれる」が根本的意味です。
・書かれる=「書か(:く在)れる、書か(:く有)れる、書か(:くあ)れる」
・来られる=「来ら(:る在)れる、来ら(:る有)れる、来ら(:るあ)れる」
・食べられる=「食べら(:る在)れる、食べら(:る有)れる、食べら(:るあ)れる」
・来さされる=「来ささ(:す在)れる、来ささ(:す有)れる、来ささ(:すあ)れる」
・立たされる=「立たさ(:す在)れる、立たさ(:す有)れる、立たさ(:すあ)れる」
〇受動態の動詞性を確認するために、「〜ている、てある:アスペクト付加」と併置
 してみよう。
・態動詞:書かれる:アスペクト「書いている、書いてある、書かれている、書かれて
 ある」
・態動詞:来られる:アスペクト「来ている、来てある、来られている、来られてある」
★態動詞のほうが、動詞的であり、実行の(結果物の表現ではなく)動作そのものに
 対する存在表現がなされる。 つまり、受動態は「動作の実行が存在する」、「動作の
 実行を有する」という陳述描写なのですね。
 (所動性動詞ですから二重受動態などは意味不定になります)

【段階3:受動態の用法を把握する】
 :「在れる、有れる、あれる」の構文法を練習する。
★補語と受動態動詞とで文章を組み立てる。
・黒板に漢字が書かれる:書く+在れる/書く動作の実行がある/軽い受身表現。
 (西欧語の受身:be+動詞過去分詞。日本語:動詞原形+在れる、で時制に自由度が
 ある)
・彼は大盛りでも食べられるよ:食べる+有れる/食べる動作の実績がある
 /実績可能の表現。
 (西欧語の完了:have+動詞過去分詞。日本語:動詞原形+有れる、で時制に自由度
 がある)
・昔はよくここに立たされた:立たす+在れる/立たす動作の受手が発話する
 /受身表現。
・生徒を何回か立たされたのですか?:立たす+あれる/立たす動作を第三者が
 客観視/尊敬表現。
×今でも場合によれば立たされますよ:立たす+有れる(?)/立たす動作の仕手が
 発話。/実績可能のはずだが、「す」語尾動詞の受動態では可能の語感が湧かない
 ようで、受身語感が強いです。
・今でも立たします:単純に立たす動作を仕手が発話する形式のほうが、分かりやすい。
・今でも立たせるよ:「す」語尾動詞の仕手による可能表現には可能態動詞・使役的形
 態の使用が好まれる。
(子音語幹の動詞だけが可能動詞を作り出せると学校文法が長いこと考えを変えず
にまかり通るのも、「す」語尾動詞の可能救済だけを視野に入れているからではない
でしょうか。次節で説明しよう)
【構文例:以前村岡氏より受動態例文付きコメントをいただいた:2013/10】
・例「雑誌にとんでもないことを書かれて困っている」:書く+在れる/受身表現。
・例「もう夜中過ぎているのに、友人に来られた」:来る+在れる/自動詞の受身表現。
・例「目の前に背の高い人に立たれて、舞台で何をやっているのか見えなかった」
 :立つ+在れる/自動詞の受身表現。
・ようやく最後にこれを書かれて気が楽になった:書く+有れる
 /仕手が書く動作をやり遂げる、結果を出す/実績表現。
・「一人で来られたのかい?」:来る+有れる
 /仕手が来る動作をやり遂げる、結果を出す/実行可能表現。
・「今度の選挙戦に立たれるそうですね」:立つ+あれる/相手の予定動作への敬語的
 な表現。
・アルバムの写真を見ていると昔が偲ばれる:偲ぶ+あれる:自発表現。仕手の可能
 表現。
以上、構文のなかに配置された受動態動詞:「動詞原形+あれる」の解釈を述べました。
★ここでは便宜上、
・受動態:動詞原形+在れる=受け身表現。
 動作の実行・結果を受け手として表現する、
・受動態:動詞原形+有れる=結果可能、実績可能表現。
 仕手の動作実行、実績を表現する、
・受動態:動詞原形+あれる=尊敬、自発表現。
 第三者が仕手の動作実行を指して表現する、
として記述しました。
「態の双対環」流に深層意識の違いを区別してみましたが、皆様の受動態の語感に
合致するでしょうか。


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