第二章
2.態文法を考える
「態文法を考える」誘因となったのは、
①日本語の受動態は、形態は一つでありながら、意味するところが広い。
 しかし、学校文法では感性に響くような文法的説明をしていない。
 このことに長い間、疑問を抱いていた。
②「書ける/書かれる」、「見れる/見られる」、「食べれる/食べられる」、
 :可能態と受動態可能表現に若干の意味合い(意図と実績)の違いがあります。
 だから、両者は共存・共栄が可能なはずです。
 しかし、学校文法では「受動態を正しく解釈する」ことができていないため、
 母音語幹動詞に可能態はダメだという極めて変則的な制限をかけている。
 (理由も開示していない)と長い間、感じています。
③市販の文庫本、新書本での日本語文法解説書を各種読んで考えるを繰り返して
 います。
 ・『日本語の構造』中島文雄: 受動態:自発、可能、受動、尊敬を表す。
 元来自然発生の感覚でとらえ、自発の意味から多義の解釈もできる。
<自発の意味からして現代人の感覚になじまない。「ある」の多義を語るべき。>
 ・『再構築した日本語文法』小島剛一:情動相:喜怒哀楽の受身表現に限定。
 翻訳調の受動態には「疑似受動態」という扱い方。
<本来受動態が広い意味を表す能力を持っているのに制限する?>
 ・『日本語に主語はいらない』金谷武洋:受動を「動詞語幹+ある」と解釈するので
 一番惹き付けられました。その一方で、自・他動詞体系の捉え方が一直線志向で、
 (自然・人為が及ばない「受動」、自動詞、他動詞、人為・意図性がつよい「使役」が
 一直線に並ぶ)、とする模式図が提示される。
<しかし、それでは日本語の受動態が自動詞・他動詞、使役にだって接続できる複線
構造の実態を説明できないと反論したい。>
〇いずれにしろ、受動態の解釈を「自然発生だ、情動吐露だ、人為を超えた行為だ」
 と定義しても、文語時代ならいざ知らず、もっと現代人の人為に寄り添った「受動
 態」の解釈が必要なのではないか。

 独自の新しい態文法として考えた事柄はつぎの4項目です。
2.1【態動詞生成の方程式を考える】
2.2【態の区分を考える】
2.3【態接辞の種類と意味を考える】
2.4【「態の双対環」を考える】
各項目を読んでの感想はいかがでしょうか?
「態文法・考」の思考実験をしてきた間に、この4項目で壁にぶつかりながら「新しい
見方」を発見できたことで、考えが自然に固まってきたように思います。
この4つの「考える」項目は各自の脳みそで考えるための道具・手掛りになるはずで
す。 だから、これを手掛りにしてもっと効率的な考え方を皆様方が生み出してほ
しいですね。


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