3.1【強制態と使役態を使い分ける】
 2種類の律他動作の機能接辞が日本語の中で生きています。
①強制態接辞:as[]u:「あす」←文語体での使役接辞ですが、自他交替接辞としても
 現役で機能しています。
②使役態接辞:ase[r]u:「あせる」←口語体の使役接辞です。
 この接辞の構造は、as+e[r]u:「強制態+可能態」接辞による合成接辞です。

強制態接辞は、日常の動詞単語の中にも使われていますし、使い方も慣れ親しんで
います。
【例1】「す」語尾の動詞のあつかい:他動詞と使役態動詞を峻別できるか?
 動く:自→動かす:他動詞:ugok・as[]uという合成方法も感得しながら発話できる。
・強制系「態の双対環」:動かす/動かせる/動かさる/動かされる、
 動かせる:は強制可能態、他動詞の可能態でもあり、
?使役態:動k・ase[r]uとも考えられます。(だいぶ使役性は感じられないが)
〇さて、根源にもどり考え直します。
動詞単独で「うごかせる:動かせる」と「はたらかせる:働かせる」を比べた場合、使役
動詞だという感覚は断然に人偏付きの「働かせる」のほうが強いと感じます。
・「動かせる」→通常、自分が動く概念がつよくて、他人を動かす感覚がよわい。
・「働かせる」→通常、組織で働く概念がつよくて、他人を働かす感覚もある。
このように、態の形態が同じでも動詞ごとに発話の印象は大きく左右される。
「働かせる」は使役表現に感じて、「働かせれる」はその可能表現に感じるでしょう。

【例2】「す」語尾の動詞のあつかい:他動詞と使役態動詞を峻別できるか?
(『曲がり角の日本語』水谷静夫:岩波新書:2011年4月20日第一刷の読書感想)
〇司馬遼太郎『坂の上の雲』第2巻225頁:(誤用例というが)
・受身の形についての誤用例との指摘が記述されてある。(が疑問を感じる)
—<水谷本引用はじめ:例は司馬遼太郎『坂の上の雲』第2巻225頁の引用文>
 例: 日本でいう黄海海戦のことを、世界では鴨緑江海戦と称されていた。
水谷本地文:「称される」という受身は、私は「称せられる」であって、「称される」
は使いません。この場合「世界では称していた」と言うべきでしょう。受身にする必
要は何もないんです。
—<水谷本引用おわり:省略部分あり>
〇辞書編纂者でもある水谷静夫は、むずかしい「称せられる」を説明なしに推奨した
 ので、「態の双対環」で考察してみたのでした。
①称す(る)/称せる/称さる/称される:司馬受動態。
②称せる/称せれる/称せらる/称せられる:水谷受動態。
 (口語的に感じられない)
−−水谷本は結局、受動態でなく、他動詞のまま:「称して:連用形」でよいという。
本来、順を追って説明すべきところです。
(称する、勉強する、考察する、など漢字名詞の動詞化なのです)
丁寧に「態の双対環」で態を生成すると、
・能動系他動詞:す(る)/せる/さる/される。
・何系?ですか:せる/せれる/せらる/せられる。
 (この系:勉強せる、考察せる、という接続では窮屈すぎる。旧さ変活用)
 (水谷受動態の根源は、せる:「se[r]u」からだが、現代に一般化できない)
・強制系他動詞:さす/させる/ささる/さされる。
 (漢語動詞+さす、一般化できる)
・使役系他動詞:させる/させれる/させらる/させられる。(漢語動詞+させる、
一般化できる)
★「せる」は自他交替接辞で、「見せる、似せる、着せる、乗せる、浴びせる、」など
 に使われます。しかし根源になりそうな「見す、似す、着す、乗す、浴びす、」など
 が存在しないので、「s[]e[r]u:せる」可能態合成でなく、「独自的」な「せる」接辞
 だと見なします。
(見[r→s]e[r]u:可能態合成でも自律・律他半々の場合、「r/s」交替が起きると
仮説を立てる?ことに賛成だが、「称せる」は自律・律他半々の共同動作に分類し得
ないし、使役にもならない)

【例3】「す」語尾の動詞のあつかい:他動詞と使役態動詞を峻別できるか?
 最初の例1と同じ原因ですが、態動詞の段階から動詞活用段階での問題です。
・任かす:律他性あり、任かせる:律他性あり、
・償わす:律他性あり、償わせる:律他性あり、
・喜ばす:律他性あり、喜ばせる:律他性あり、
・果たす:自律性あり、果たせる:自律性あり(可能態)、律他性なし、
・輝かす:自律?律他?、輝かせる:自律?律他?、(可能態でない)
・なびかす:自律?律他?、なびかせる:自律?律他?、(可能態でない)
このように、動詞一つ一つを単独で解釈するとき、他動詞なのか、使役動詞なのか
判断が分かれることが多い。
 テレビ取材の対話の場面で例を上げると、
〇発話者「〜の責任を果たしたと思っている」、画面の説明文字は「〜の責任を果た
 せたと思っている」に代わっている。
→能動:「果たした」の発言の重みを感得したならば、可能態:「果たせた」では意思
 可能の意味合いに変わってしまうから、「果たした」を代えるべきではない。
〇記者ネットニュース文「〜代償を償わさせると表明、」、後刻のネット修正版「〜代
 償を償わせると表明、」
→「償わさせる:償w[]as[]ase[r]u:二重使役」に気づいて、後刻の修正記事では
 「償わせる」に直したのでしょう。

動詞の自他交替の機能は文語体時代の「ある」「あす」機能接辞が組み込まれていま
す。 「態の双対環」方式は態の接辞として文語体時代の接辞を含めていますから、
いろいろな動詞に「双対環」操作をしていくうちに、自律性、律他性の感覚が分かっ
てくるはずです。
★「果した/果せた」、「なびかした/なびかせた」「任かした/任かせた」:便利な態
 生成が動詞活用の感覚で使われる。 ちょうど、「果せた」「なびかせた」が已然形の
 ような感覚なのだろうか。
しかし、動作の直接的陳述が本来の姿ならば、「果した」「なびかした」「任かした」を
もっと優遇したい。文章校正をする立場では動作の直接表現を大切にする矜持が必
要だと思う。(もちろん構文上の要請で「律他性」を強調する意味合いで使役態他動
詞化することも必要になる。よく吟味しなければならない)

【思考実験:強制態と使役態を使い分ける】
:他動詞と使役態動詞を峻別する方法はある!
 例1〜3までの他動詞:動かす、働かす、称す、任す、果す、輝かす、など辞書見出し
語、に対して強制語感の有無を調べてきた。
★「態の双対環」では、次のような段階を踏んで強制/使役を峻別することを提案する。
①運用する動詞の語尾が「‐asu」付きであるが、単なる「対物他動詞」であるなら、
 強制態や使役態の扱いをしないで「他動詞」のあつかいに徹する。
 (動かす、果たす、なびかす、:他動詞あつかい)
②または、動詞語尾が「‐asu」付であり「対人強制動作」と感じるならば、
 →可能態接辞を付加してみると、その動詞の感じがどうですか、
   分岐:使役態になる→(働かせる、任す、任せる、:強制、使役の扱い)優先。
   分岐:可能態表現になる→(輝かせる?、なびかせる?:可能態でもないし、
       対物意思が確認できない)使役でなく、他動詞扱いが無難かも。
③漢語に「す」語尾が付いた動詞:称す(称する)などは他動詞扱いがよい。
 する動詞の双対環:称す/称せる/称さる/称される(称せる:可能態と割り切る
 ?)
・現代語の「する」動詞双対環:する/できる/さる/される、と割り切るか。
 (強制系:さす、使役系:させる、は双対幹を生かせる)
以上のように峻別して、「す」語尾の他動詞は、意思表明の可能態「‐eru」を気安く使
わないほうが分かり易い。
〇「責任を果たせた」よりも「責任を果たした」、「責任を果たされた」のほうがよい。
〇「目を輝かせて」が多いが、「青年は目を輝かして」のほうが自律的でよい。
〇「馬がたてがみをなびかせて、」も、馬の自律で「‐なびかして、」がよい。
〇「と称せる、称せられる」よりも「と称する、称される」のほうがよい。
 (「と称せる」:称すことができるの意味に限定。ただし一般化できない)
〇「勉強せる、鑑賞せる」は可能表現にならない。「勉強できる、鑑賞できる」がよい。
〇「勉強さす、させる」「鑑賞さす、させる」:漢語動詞は挿入音素[S]付きで強制態
 接辞、使役態接辞につなぐとよい。(勉強+させる:二語連結)
★特に、「せる」については、例2:「見せる、似せる、着せる、乗せる、浴びせる、」
 の部分で述べた「自律/律他半々の動作」に関わること。つまり、相手にやらせる
(強制)だけでなく自分も手を貸す(使役、仲介):仲介者を立てるということ。
この解釈は個人的な言語感覚ですが、(「seru」:「s」律他と「r」自律が組合さる形態
ですから、律他/自律半々と見るべきでしょう)思考実験中ということで本筋から
外れていることにします。
(やはり、態の接辞は自他交替機能接辞でもありますから、使い分けを極めるには
もっと自律/律他機能での把握が必要と思います)


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